プロフィール
元プロボクサーで日本ランキング2位。
戦績は24戦20勝(11KO)、ボクシングはぼくの青春です^ ^
そんなボクサー時代の減量の経験を活かした、独自のダイエットメソッドによる指導が得意で、パーソナルトレーナーとして15年の経験があります。
そして
2020年にクライアントの健康と美容を支えるダイエットメソッドとして
『オンラインでサービス提供ができるダイエットサポート&パーソナルトレーニング』
の独自メソッドを新たに開発。
このメソッドでは、
3ヶ月で10キロ落ちる方が多く、20キロ以上落ちた方もおられて、たくさんのクライアントから好評を頂いてます^ ^
さらに、
・糖尿病や脂肪肝の改善
・花粉症やメンタルストレスの軽減
・長年に渡って不妊治療をしてきた方がダイエット後に妊娠した
なんて効果も発揮してます。
ぼくがボクサー時代に作り上げた減量法に、食事管理とパーソナルトレーニングの経験を加えた独自メソッドは、体重が落ちるだけでなく、『健康的な体質に生まれ変わった!』と喜んで頂いているんです^ ^
◯ オンラインDIETコース2ヶ月で8.3キロ痩せた40代専業主婦Hさん
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ダイエットだけでないコンディショニングトレーニングの効果を感じて頂けてます
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そして嬉しいことに、ホットペッパービューティーの「ダイエット部門」で愛知県と名古屋市の両方で口コミランキング1位を獲得しました♪
こんな風にたくさんの方のダイエットに関わらせて頂きました!
ボクサーの時、ぼくはこの仕事が天職だと思っていましたが、パーソナルトレーナーとして生きていて、これこそ本当の天職だと感じています。
パーソナルトレーナーになってたくさんの方に喜んでもらえて本当に嬉しい!
毎日楽しくトレーニング指導でき、そして毎回笑顔で帰ってくれる会員様に本当に感謝です♪
あ〜、こんな楽しいお仕事はない^ ^
そんな風に思える毎日を過ごしていますが、ここまでくるのにいつも順風満帆な訳ではありませんでした。
ここからは山あり谷ありの僕の人生のお話しをしていきますね。
最後まで読んでくれた方に特典プレゼントのお知らせをしていますので、楽しみに読み進めて下さい^ ^
ぼくの生い立ち〜両親のこと〜
ぼくは1977年1月に名古屋で生まれました。
ひとりっ子で両親は共働きだったので物心ついた頃から鍵っ子でした。
子供の頃から犬とずっと一緒だったので、ペットというよりも兄弟のような感覚で、今もワンコと暮らしています♪
名古屋弁が大好きで、小学生の頃は日曜日になると母親に喫茶店のモーニングに連れて行ってもらうのが習慣でした。
・トーストに砂糖をかけて食べたり
・エビフリャーカレーを食べたり
・レスカ(レモンスカッシュ)を飲んだり
喫茶店に行って週刊少年ジャンプを読んで、ジャンプのヒーローに憧れて育ちました♪
ぼくのヒーローは、当時から変わらずドラゴンボールの孫 悟空。
強くて老けなくていつも笑顔で、仲間から頼られるスーパーヒーロー。
こんな漫画のヒーローにいつかなりたいと思って、髪の毛を金髪にしてました(笑)
そして見た目だけマネするのではなく強さも手に入れて、ボクシングで日本ランキング2位になったんです^ ^
母がぼくを産んだのは30歳の時。
子どもは産めないかもっと思っていたら産まれた子だそうで、母親にめっちゃ愛されて育ちました。
しかし父親のことは嫌いでした。
ぼくにはそれなりの対応で接してくれてたのですが、母とは喧嘩になるとすぐに殴っていたからです。
週の半分ぐらいはケンカしてたような思い出しかありません。
父が母をイジメる姿を見るのはとても悲しかった。。。
ぼくは母親に愛されていた分、母親を殴る父親が嫌いでした。
母を助けてあげたかったのですが、父親が怖くて何もできません。。。
ぼくは中学生の時まで泣き虫でした。
怖いと思ったら立ち向かう勇気がなく、泣いてばかりいました。
でも何故か学校ではケンカが強い子に好かれます。
昔マガジンで連載していたマンガ『特攻の拓』の拓ちゃんみたいで、あのマンガ読んでると
「自分も変われるかな?」
って勇気もらっていました(笑)
高校生になってからは泣くという状況にもならず、好きな事をするようになり漫画スラムダンクの影響でバスケ部に入りました。
なかなか試合には出れませんでしたが、バスケ部の仲間がおもしろくて、本当に楽しかった!
そんなバスケにがんばっていた秋ごろに、練習でヘロヘロになって家に帰り、すぐに寝ると夜中ごろに怒声が聞こえてきて目が覚めました。
父親が母親を引きずり回していたのです。
高校1年生になった時、父親の会社が倒産し、母親は夜、スナックで働くようになってました。
どうやらそこのお客さんと母親が仲良くなっていたのが気にさわり、家に帰ってきた時に殴って引き釣り回していたのです。
母親は顔が腫れていて、泣きながら『もう殺せ!殺せばいい!』って叫んでいました。
もう何かよく分からなかったけど、母親を助けにいきケンカを納めました。
どうやって納めたかは全く覚えていませんが、ぼくは母親に小さな声で『明日家を出よう』と伝えました。
そして翌日、ぼくは学校に行くふりをして、父親が家から出たるのを見計らって家に帰り、母親と最小限の荷物をまとめて家を出ました。
父から逃げたんです。
母親と家を出て行った先は、母親のお姉さんの家。。
3ヶ月もすると父親も僕たちを探すのを諦めたのか、僕たちは2人で住むために引っ越しをしました。
新しい家はボロアパート。
でもぼくには自由で羽が伸ばせる家にやっと住めると思ってました。
今まで父親といても窮屈な感じがして、家を出ても親戚とはいえやはり他人と暮らすので、なんか気を使っていました。
けどやっと(これが自由なのか!)っと思い、部活を辞めて、親に負担を掛けないように高校生活を楽しむことにしました。
高校生の頃 好きだったのは、ケンカの強い友達の影響で、ロックとバイクです!
ギターやバイクを母からお金を借りて買いました。
そのお金は返さないといけないので、学校が終わったら毎日アルバイト。
そして土曜日の夜は名古屋の繁華街「栄」で、友達みんなでバイクを並べてバカ騒ぎ。
そんな他愛もない時間を楽しんでました。
一つ言える事は、友達はケンカが強いのですが、ぼくはケンカが弱い!
人を本気で殴るなんて考えたことありませんでした。
だからいつも友達を見て
「カッコいいなぁ」
って羨ましく思っていたんです ^ ^
ボクシングとの出会い
そんな風に高校生活を過ごし20歳になるまで、
ぼくの生きる世界は『ケンカが強いか弱いか』の弱肉強食の世界でした。
そして20歳の頃、友達の会社に入り、鳶職人になりました。
最初、ぼくはひ弱そうな体だったので、会社の人たちから
『1週間持つかな?』っと思われていたそうです。
ぼくも友達に、
『よしのぶ、まず1週間がんばれよ!そしたら続くから』
と言われてました。
本当にキツかった!!!
ぼくがやれる仕事なんて下っ端だから、荷物運びしかないのですが、その荷物が重いこと重いこと、、、
しかも建物はエレベーターなんて付いてない建設中のところですから、重たいものを持って階段を何往復もします。
めっちゃ過酷だなぁって感じですが、でも当時はそんな過酷な事も楽しみながらやってました。
今思えば、この仕事の重労働でボクシングの基礎体力がついたのかもしれません。
あれよあれよと1週間2週間と辞めず1ヶ月続いた時、
周りから『よしのぶは根性あるな!』っと褒められました。
ぼくからすれば友達の会社に入れてもらったから、
カッコ悪い辞め方できないのでがんばってただけだったのですが、
周りから見たら根性があるって評価を得られてビックリと同時に、
「自分には根性があるんだ!」と初めて知りました^ ^
鳶職人を1年ほど続けた20歳の頃、「もっと体力をつけたいしスポーツしよう」と思ったんです。
今でこそスポーツクラブは気楽に入れる感じですが、
当時のぼくは「エアロビクスなんてやりたくない」と思っていたので却下(笑)
そこでいつも会社の通り道にあるボクシングジムに通ってみようと思いました。
ぼくの当時のボクシングの知識は、漫画「明日のジョー」を読んだレベル。
テレビも見なかったし、なんなら好きではないスポーツでした。
でもどこかでケンカが強くなるって言う憧れはありました。
なのでボクシングジムに見学に行った時、(体力付けて、友達みたいにケンカが強くなれたらなぁ)って思いで入門しました。
20歳から始めてプロになんてなれるなんて、これっぽっちも思っていませんでした。
ボクシングジムに通ったのですが、目的は体力作りだったので、週3日仕事がしんどくない日に行くようにしてました。
最初は縄跳びとワンツーの打ち方を習って鏡の前で練習するシャドーボクシングをしていました。
スラムダンクを読んでいたので(基本が大事)と思い、コツコツ同じ練習を繰り返していました。
1ヶ月後経ち、2ヶ月が経ち、3ヶ月後経ち…
ぼくはずっとバンテージを巻かず、鏡の前でワンツーを打つばかり。
たまにプロボクサーのスパーリングや練習を見て、コンビネーションやパンチの打ち方を見て盗んで自分なりに練習してました。
けど(何かがおかしい?)っと思いました。
それは、ぼくより後の入った練習生が、バンテージを巻いて練習しており、サンドバッグもバンバン叩いていたのです。
でも、シャドーだけでも楽しかったので、気にせず今まで通りの練習していました。
シャドーボクシングしかさせてもらっていないのに健気に練習にきていたでか、ジムの先輩のプロボクサーの方達が話しかけてくれるようになり、パンチの打ち方やボクシングについて教えてくれたんです。
この時に教えてもらったこと、そしてシャドーしながら周りのボクサーたちの練習を見てきて自分なりに考えていたことが、この後、ぼくにとても素晴らしい財産になっていました。
今思うと神様は、ぼくに考える時間を与えてくれたんだと思います。^^
7ヶ月が経とうとする頃、ぼくがジムに行った時、練習生が3人しかいませんでした。
そこでジムの会長が、それなりに続いているぼくに声をかけてきてくれ、ボクシングの技術とバンテージをくれてバンテージの巻き方を教えてくれたんです。
ぼくは7ヶ月基礎練して、やっとサンドバッグを打てたので、楽しくてたまりません!
誰よりもワンツーをサンドバッグで練習したと思います^ ^
その日からボクシングがめっちゃ楽しくなり、週に5〜6日通うようになりました。
朝、鳶の仕事に行く時はたまに、ランニング30分して通うようになりました。
プロになるつもりはなかったのですがボクサーとして強くなりたいって本気で思えるようになり、ケンカに強くなりたいなんてのが小さく思えるようになりました(笑)
ただ、毎日ボクシングジムに通うようになり母親から
『またボクシング?』
『いつまで続けるの?』
って、ぼくの気持ちに反してなんか素っ気ない感じで話しかけられたりするようになったんです。
あとから分かったのですが、どうやらボクシングを本気でやって欲しくなかったそうです。
親心だったんですね〜。
当時はいっさい気づきませんでした(笑)
大好きな母との別れ
『今年のプロ野球はどこが優勝するかなぁ』
『マーくん(ペットのワンコ)は母さんから離れんね、マーくんおいで!』
『今度焼き肉食べにいこっかぁ!』
いつものように母と他愛もない話をしながら夜ご飯を食べていました。
そして次の日、
ボクシングの練習が終わり夜遅くに帰ると、母が倒れ込むような感じで部屋に寝ていて
当時飼っていたポメラニアンのマーくんが倒れている母の周りをぐるぐる回って
『ワンワン』叫んでいたのです。
これを見てすぐに
「ヤバい!」
と思い母の体を起こして顔を見ました。
体中の力が抜けたままダランとして目を瞑ったまま。。。
倒れてから少し時間が経っていたみたいで、顔のところどころに青いあざができていました。
大きな声で母親の名前を呼んでも反応はいっさいありません。
何回も何回も体を揺さぶったりしても起きません。
頭の回路はパンクして、
ただただ『お母さん』っと叫びながら泣くしかありませんでした。
死ってなんなの?
何がどうなったの?
これからどうすれば良いの?
初めて身近な人の死…。
ぼくの唯一の家族で、いつか楽をさせてあげたいと思っていた大好きな母親が、突然何の前触れもなくいなくなってしまいました。
親戚にお葬式を手伝ってもらい、喪主をぼくは20歳で味わいました。
それから『死』について、じっくり考えるようになりました。
人はいつか死ぬ。
母はぼくを産んで、ぼくを育てるためにDVの父親から離れず耐えながら生きてきた。
せっかく別れて、貧乏だけど自由になれたと思った矢先に突然の死…
人はいつか死ぬけど、それは寿命で死ぬわけではないかもしれず、明日急に死を迎えるかもしれない。
ぼくはこの先どうやって生きていこうか?
プロボクサーにぼくはなる!
母が亡くなってから、ぼくは天涯孤独の人生を歩むことになりました。
ただ、どうせ孤独な人生なら、自分の生きる道を切り開きたいと思い、『今』楽しんでいるボクシングをやれる所までやっていこうと心に誓いました。
『給料が良いからといって鳶職人でこの貴重な20代を過ごすのはもったいない。
よし!ボクシングに人生を掛けてやろう!』
ぼく自身、この時『プロボクサーになれる』っという自信があったからです。
ボクシング始めて最初のうちはずっと1人で鏡に向かってパンチを打つ、シャドーボクシングという練習ばかりしてました。
そしてボクシング始めて8ヶ月後に初めてスパーリングという実践形式の練習をさせて貰ったんです。
相手は14歳の中学2年生。
ぼくは20歳。
「え!弱いものイジメになるじゃん(笑)」
なんて思ってましたが会長は
『ボクシング経験2年だから胸を貸してもらえ』
って言います。
「いやいや、ぼくは鳶職人だし、それなりにケンカの強い友達たちと一緒にいたから、中学生に胸なんか借りんだろ」
と思っていました。
ところが⁉︎
3分2ラウンド戦い、ぼくはパンチを1発も当てられず、中学生のパンチを100発ぐらいもらいました。
中学2年生の子供にボコボコにされて負けたんです。。
終わった後悔しくて涙が滲み出てきたのですが、
ジムで周りに見せられず、その後の練習時間が終わるまでサンドバッグを殴り続けました。
汗で涙が出てるのも分からないぐらい必死に1時間以上です。
その時の悔しさが忘れられず、サンドバッグ打ちはもともと好きな練習でしたが、この日からこの中学生をぶっ倒すための練習に変わりました。
後から聞いたのですが、この中学生はすでにキッズの全国大会に行ってる子でした。
ぼくが衝撃だったのが、ボクシングが強ければ年齢関係なく子供でも強いんだって事。
この時の経験がキッカケになり、
「人に負けたくない!」
という感情を持ったことが無かった僕は、
『絶対に負けたくない!』
という激しい競争心を持つ人間に変わりました。
心が変わると行動も変わります。
負けたくないという気持ちを持つことで、
今まではただ【殴ればいい】と思っていたボクシングへの考え方が変わり、
いかに省エネで体を使ってパンチを打って、
いかに最大の衝撃を与えれるかを考えてボクシングするようになりました。
そんな風に考えて練習するようになってから、
ぼくはどんどん強くなり、スパーリングでプロにも勝てるようになったんです。
人はいつ死ぬか分からないからこそ、
挑戦できるならどんどん挑戦しないと後から後悔する。
僕はプロボクサーになる事を決意して、
今までより厳しい練習に夢中で取り組むようになりました^ ^
世界チャンピオンを目指す
プロテストが決まって、スパーリングの練習を毎日2ラウンドがんばってやってました。
毎日スパーリングをするのは20歳の若者でも疲れます。
頭が痛くてガンガンしながら帰る日なんてしょっちゅう(汗)
でもここで弱音を吐くことは許されません。
「ぼくみたいなひ弱なやつでも努力すれば絶対にプロになれるんだ!」
ってのを周りに見せたかったんです。
・朝はワンコのマー君とロードワーク
・昼は筋トレと仕事
・夜はジムワークでスパーリング
・そして寝る前にボクシングの研究
毎日コツコツ続けていました。
そしてプロテストの日を迎え、筆記試験とスパーリングを行いました。
初めて知らない人とたくさんの人が見てる前でボクシングをしてドキドキしましたが、なんとか実力が出せて、見事1発合格しました!^^
これで晴れてプロボクサーです。
プロボクサーになった時、これまでの達成感に浸るかと思いましたが、テストスパーリングの時同様、「ヤッタァ」って嬉しさはありましたが、なぜか冷静に次のステップに進むことを考えていました。
「はやくプロボクサーとしてリングに上がって試合がしたい」と思っていたのです。
ひとまずプロボクサーになったことを鳶の親方に報告しました。
そして
仕事を辞めること、20代をボクサーとして人生を賭けることを伝えました。
会社の上司のほとんどの方には
「よしのぶがプロ?試合に勝てるわけがないよ」
なんて笑われました。
まぁ、笑うだろうなと思っていましたが入社した時も見返したように、今回も見返してやろうと思っていました。
しかし親方は笑いもせず、こう言ってきたんです。
親方「よしのぶはプロになって何を目指すんだ?」
ぼく「日本チャンピオンを目指します!」
親方「バカか!」
ぼくは本当は「世界チャンピオンになりたい」という夢はありました。
でもその時は
「流石に現実離れしているかな?笑われるし日本チャンピオンにしておこう」
と思ってそう言ったのです。
親方「あのなよしのぶ、せっかくプロになって仕事も辞めて人生を賭けるのに、
なぜ1番を目指さない。日本1は1番でかい夢ではないだろ?どうせやるなら世界1を目指せよ。そしたら日本チャンピオンは通過点だから、日本は楽に取れるようになるぞ。そんなもんだからな!」
ぼくはこの言葉を聞いて頭を打たれた思いでした。
謙虚な答えが正解と思っていたけど、せっかく20代という自分の人生を賭けようとしているのに、わざわざ小さくなる必要はない。
世界1を目指せば確かに日本は通過点だから、楽に乗り越えていけそうだっと思えました。
そこからぼくは世界チャンピオンになる決意をし、
人に聞かれたらすぐに「世界チャンピオン目指してます!」と答えるようにしました。
良い上司に出会えたことに、今でも感謝しております。
親方、今も元気かな?
あの時は本当にありがとうございます^ ^
この一件があって、ぼくはすぐに世界チャンピオンになる計画を立てて、
ライバル達の練習や減量の仕方を研究し続けました。
・どうすれば強くなれるのか?
・どうすればうまく体重が落とせるか?
・どうすれば試合で勝つことができるのか?
ぼくはたくさんの先輩たちを観察してこの解決法を見つけました。
それは本当に基礎的なことで、
世界チャンピオンになるためにとにかくコツコツ練習して自分に自信を持つこと。
そして試合前は疲れが溜まって体が動かなくなり、スパーリングで弱い選手にも殴られることになり自分に自信がなくなる時期が来る。
だから普段から体重管理をしっかり行い絶食しないようにして、食べて疲れないいつでも動ける体にしておきながら体重を落としていく方法にすること。
試合前になっても試合に勝つための練習がめいいっぱいできれば、当然リングの上に立つときは自分に自信を持って上がれます。
それが試合に勝つ方法だと考え、ぼくは減量方法を常に研究し、独自の減量方法を作り上げました。
今はこの減量方法をアレンジして、忙しい毎日を過ごされている方でもダイエットができるように指導し、たくさんダイエット成功者を出してきました。
ただ体重を落とすのではなく細く引き締めた体を作りながら、仕事や普段の生活のパフォーマンスを上げるダイエット法です。
ウエストがめちゃクチャ細くなるので、「服の買い直しが大変!」とうれしい悲鳴をあげる方が続出してます!
話をボクシングに戻しますね^ ^
デビューできるのが21歳。
当時ボクサー人生は26〜27歳。
しかもその年齢までできるのはチャンピオンクラス。
無名の選手は多分その歳までやってないと思い、25歳か26歳で世界チャンピオンにならないといけないなっと考え、
3年後の24歳で日本チャンピオン。
25歳で東洋太平洋チャンピオン。
そして26歳で世界チャンピオンになる計画を立てました。
5年で世界チャンピオンになるためには、ぼくにできることは限られている。
無駄に試合回数をこなす時間はないから、全勝で勝ち上がっていかなければいけない。
そしたら毎日成長するしかないなっと考え、アルバイトを週に4日しか入れず、残りの3日間は筋トレする日にしました。
いやぁ、ボクサー時代はめっちゃ貧乏でした(笑)
自慢の車も売って自転車生活にして、アルバイト先まで30分の時間をガムを2〜3枚噛み顎と足を鍛えながら通ってました。
お母さんが飼っていてぼくが引き継いだわんこは、母が亡くなってからぼくに懐いてくれ、ぼくが走ると「キャンキャン」吠えるので一緒に走ることにしてました。
毎日7〜8キロを30分で走るポメラニアンです。
多分天国の母もびっくりしていると思います(笑)
トレーニングは計画通りに行っていき、あとはぼくに才能があるかどうかの問題。
そんなある日。
とうとうデビュー戦が決まりました。
相手は、1戦1敗の選手で、その1敗は、同じジムの先輩に判定負けをした選手です。
デビュー戦は4回戦。この日に向かってぼくは今まで生きてきた中で一番努力したんじゃないかと思うぐらい一生懸命に練習をしました。
なんせ初めてのことだから何をどうすれば良いのかわかりません。
まず試合が決まったら減量をするのですが、ぼくはフライ級(50.8kg)で試合をします。
自分でフライ級でやりたいと思い決めた体重です。
減量のやり方はかなり慎重に行っていこうと決めていました。
今まで先輩たちの試合を見てきて、練習ではめっちゃ強い人でも試合ではなかなか勝てないところを見ていたからです
最初は「うちのジムは弱いのかなぁ?」と思っていたのですが違いました。
うちのジムの選手は基本がしっかりとした強い選手ばかりなので、普通に試合をすれば勝てるはず。
でもほとんどの先輩たちは減量を失敗して体調が悪いまま試合に臨んでいました。
それを見ていたぼくは、
『減量を制するものが試合を制する!』
との信念を持ち普段の体重管理をしっかり行なった上で、
試合前に少しの減量だけで、万全の体調で試合に望める減量法を作り上げたんです。
僕は生涯戦績24戦しているのですが、ずっとこの方法で行ってきて、減量失敗したことは1度もありませんでした。
ダイエットサポートのトレーナーとなった今でも、このボクサー時代の経験を軸に作り上げたダイエット法は、クライアントさんから喜ばれています。
いざプロボクサーとしてデビュー戦!
デビュー戦にぼくがチケットを売った数は120枚です。
120人の友達と親戚とお世話になった方が応援してくれました。
4回戦ボーイのぼくはファイトマネーはそんなにもらえませんので、120人も呼ばなくても良かったのですが、それだけ多くの方を読んだ理由は2つありました。
1つは、自分を追い込みたかったこと。
初めての試合で必ずKO勝利してとんとん拍子で世界まで駆け上がる計画を立てていたので、この試合はどうしても勢いに乗せたかった試合でした。
ぼくの中ではこの試合がこれからのボクサー人生の命運を分ける試合だと思っていて、この試合に負けないために練習を120%でこなそうと思っていました。
そのためにたくさんの友達が来てくれるように会いに行ってチケットを買ってもらい、自分に負けれない状況を作って練習に励みました。
スパーリングとミットうち以外は全部自分の匙加減で練習量が決めれます。
ロードワークだって誰が見てるわけでもありませんので、サボろうと思えばサボれます。
でもチケットを売り友達が見に来てくれるっというだけで、負けたところを見せたくないっというプライドが、練習をサボらずに一生懸命やりきれると思った作戦です。
もう一つは、
母親の死があり、人はいつか死ぬ。
ボクシングはデビュー戦で死ぬかもしれないので、自分がジヌにしろ生き残れるにしろ、自分がボクシングに賭けた人生を見てもらいたいと思いました。
この2つの思いが120名の友達たちを呼ぶ原動力となりました。
そしてその友達たちは、無名のボクサーのデビュー戦では珍しい垂れ幕を作ってくれて、そこに寄せ書きを書いて応援してくれました。
当日の試合前はもうドキドキ!
ぼくは普段からメンタルトレーニングの本を読んでいたので、
リラックスして試合に臨めるように笑顔で花道を歩くように心がけ、花道を囲ってくれる方達に笑顔で答えながらリングを上がりました。
リングに上がったら、今度はいつものスパーリングのようにしようとリングをサイドステップで周り、練習の時と同じ動きをしてアナウンサーがぼくの名前を呼ぶのを待ったのです。
ぼくの名前が呼ばれた瞬間、120名の友達たちが一斉にコールしてくれ、会場が一気にヒートアップ!
「注目されてる!」
と思いながらゴングの音を聞きました。
相手は2戦目ということで自分から積極的に手を出してきました。
でもぼくはパンチが全部見えていたので、そのジャブを交わしつつ相手の顎目掛けてジャブを打っていきました。
ある程度ジャブをお互い出してリズムを取り合いをしていた時、相手が強気で仕掛けてきました。
ワンツーパンチを踏み込んで思いっきり打ってきたのです。
僕はすぐにカウンターで右ストレートを顎へ、左フックをこめかみ目掛けて打ち込みました。
これが見事にヒットし相手はダウン!
審判がカウントを数えている時、ぼくはニュートラルコーナーで相手のダメージがどれぐらいかを見ていました。
まだ始まったばかりだから急がずじっくり攻めていこうと思い、
向こうが立ち上がってきて、
審判が「ファイト!」っと言って試合再開。
僕は相手に近づいていき、プレッシャーをかけてロープの方へ追い詰めました。
その時に相手のボディーがガラ空きなのが見えたので左ボディーを打ち込んだら見事にヒット!
相手は崩れ落ちるように倒れました。
すかさずレフェリーが止めに入って試合終了。
ぼくのデビュー戦は、1ラウンド2分30秒KO勝ち!!!
ただでさえ多い友達の声援が超大きな歓喜の声援に変わり、ぼくはその会場で一番有名な選手みたいに思えました^ ^
KO勝ちは狙っていましたが、まさか1ラウンドでできるとは思っていませんでした。
プロ初勝利はめっちゃ嬉しかったなあ!
そして間違いなくこの日から、ぼくの人生は変わっていきました。
その後、連勝街道を突き進み中部新人王MVP。
僕の青春の1ページです^ ^
挫折と復活
中部新人王MVPになったものの、勝ち進むごとの敵も強くなっていきます。
低迷の時期が1年続きました。
負け勝ち引き分けなどで失速。。
僕の才能ではここまでかな。。。
そんなことを思っていたある日。
突然会長が食事に連れて行ってくれました。
「世界チャンピオンなんてことは考えず、普通のボクサー人生を歩みなさい」
なんとも諦められた感じの事を言われたのです。
ぼくの目標は世界チャンピオンです。
確かに不甲斐ない試合をしていましたが、いまだになれると信じていたのですが、そう思っていたのはぼくだけだったと思わされる、痛恨の一撃のような言葉。
しかし、これが低迷していたぼくを復活へと導く言葉でした。
名言でも励ましの言葉でもありません。
そのあと家に帰り、すぐに頭を坊主に丸めました。
初心に戻ってボクシングに向き合おう!
練習内容を見直して再スタート。
もう一度、基礎を見直しながら真剣にじっくり練習するようにしました。
そしたら3ヶ月後。
会長が、ぼくにチャンスをくれて、
東洋太平洋ランキング9位で韓国ランキング1位の選手と試合を組んでくれたのです。
「やったあ!!!」
もう気合が入り、練習も集中して行いKO勝利こそ逃しましたが圧倒的な判定勝利!
そして日本ランキング10位になりました。
そこからまた連勝街道を突き進み、フィリピンの世界チャンピオン候補にも勝利!
ぼくの中でベストバウトの思い出の試合です。
この時は本当に世界チャンピオンが見えたと思いました。
そして次の試合で
世界ランキング3位の本田選手に挑戦するもTKO負け。
ぼくやジムだけでなく、
応援してくれる友達や親戚やアルバイト先のオーナーやスタッフたち、
そして昔働いていた鳶の会社の社長や親方たちが、ぼくの勝利を期待してくれていただけに、もの凄く気合を入れて戦いました。
しかし全く歯が立たなかった…
初めて『何もできなかった』
完敗。
この時、僕は25歳でした。
思い描いていた夢が遠く遠くに感じるようになり、
ショックを通り過ぎて1ヶ月間ほど呆然としていました。
しかしそれでも夢を叶えようと、
もう一度じっくりボクシングと向き合い、
『ぼくは強い』っと自分に言い聞かせて
・自分に足りていないこと
・伸ばさなきゃいけないこと
をコツコツ練習して、その後2試合を続けて勝ちました。
しかし
その年、ぼくは引退を決めて最後の試合をしたんです。
理由は
『純粋な気持ちでボクシングが出来なくなったから。』
ぼくは試合のリングに上がる時は毎回、
本当に『命』を賭けていました。
年齢的に遅くにボクシングを始めて、
それでいて世界チャンピオンを目指していたから、それ相応の覚悟がないと夢を叶えられないと思っていたからです。
大した才能があったわけではないので、無我夢中でやるしかなかったんです。
ですが、この頃からジムの経営が危うかったのか、
ジム内で『お金』と言う言葉がいつも出るようになりました。。。
地方のボクサーはファイトマネーも少なく、
本当に貧乏な人が多いと思います。
でもボクシングに命をかけれた理由は、世界チャンピオンになるっという『夢』があったから。
それなのに、
ジムでお金がないとか、チケットをたくさん売れとか。。。
「ジム経営のためだけにボクシングをやらされているのか?」
と思ったら、
一気に命を賭ける気持ちが冷めてしまいました。
ボクシングは甘い世界ではありません。
才能ではなく気持ちで今まで戦ってきたぼくからすれば、モチベーションの低下は危険なサインです。
勝てる試合も勝てなくなります。
そしてそんな気持ちでパフォーマンスが落ちているぼくの試合に、大切な友達や親戚や応援してくれる方にお金を払ってまで見て欲しいと思えません!
それでも試合が決まっていたので、ぼくはモチベーションを保つために
『この試合を最後に引退しよう!』
と決断したんです。
最後の試合は世界ランキング9位のランディ・マングバッド選手。
相手に不足はありません。
そして全力を出し尽くしての判定勝利。
こうして僕の青春と命をかけたボクシンング人生は幕を閉じました。
終わりと始まり
ぼくはボクシングを辞める時、
「負けて引退したくない」と思っていたので、これが自分の中でベストなやめ方と思い込み、第二の人生を前向きに生きていけるように人生設計を立てました。
引退後にやりたいことは特になかったのですが、
普通に会社員をすると言うよりは、いずれは自分の会社を経営したい。
そんな思いから起業をする計画を立て、
まずは2年間ほど社会人としての経験値を積もうと決めました。
・ヤフーADSLの販売
・地元の工場で車の部品の取り付け
・シリコンウェハー用研磨材の工場勤務
いろいろなアルバイトをしました。
そんな風にしてたどり着いたのがスポーツクラブのインストラクターです。
「自分のスポーツの才能がいかせるかな?」
と思いアルバイトを始めて気づいたのが、格闘技エクササイズが人気があること!
「これを素人が教えるよりも元プロボクサーが教える方が面白いだろう」
と思って、インストラクターになろうと目標を定めました。
そう定めたら、すぐにインスタラクターとしての仕事が決まり、ぽんぽん仕事が増えて、今度は三重県でボクシングのジムを開くことまで決まりました。
誰も知り合いがいない土地でいきなりお店を開くことになり、不安もありましたが新しい出会いがあると思ってワクワクです^ ^
「三重県の方達の健康的なダイエットを担う!」
と決意して、28年住んだ地元の名古屋から三重県に引っ越しました。
ぼくが大人気のパーソナルトレーナーになった秘密
2006年、ぼくが29歳の頃。
三重県でホットヨガとボクササイズのスタジオを経営しながら、
暖かい場所でボクササイズを行う「ホットボクササイズ」というレッスンを開発しました。
それはボクシングとフィットネスとホットヨガを足した超〜ダイエットレッスンです。
これが「痩せる」と噂になり、爆発的にヒット!
13年間ずっと満員のレッスンとなりました。
その後、
ぼくはパーソナルトレーニングの指導者となり、ボクシングの時の減量の経験を活かした独自のメソッドで、ガンガン痩せる会員様ばかりの予約の取れないトレーナーとなりました。
この独自のメソッドは痩せないわけありません。
なぜなら、
日本ランキング2位のプロボクサー時代にぼくが行ってきた減量法に、
生活習慣病を未然に防げると言うことで、いまも大人気の糖質制限食をプラス。
さらにパーソナルトレーナーとして培った15年の経験値を全て詰め込んでいるからです!
そして
2020年にクライアントの健康と美容を支えるダイエットメソッドとして
『オンラインでサービス提供ができるダイエットサポート&パーソナルトレーニング』
の独自メソッドを新たに開発。
このメソッドでは、
3ヶ月で10キロ落ちる方が多く、20キロ以上落ちた方もおられて、
たくさんのクライアントから好評を頂いてます^ ^
さらに、
・糖尿病や脂肪肝の改善
・花粉症やメンタルストレスの軽減
・長年に渡って不妊治療をしてきた方がダイエット後に妊娠した
なんて効果も発揮してます。
ぼくがボクサー時代に作り上げた減量法に、
食事管理とパーソナルトレーニングの経験を加えたこの独自メソッドは、
体重が落ちるだけでなく、
『健康的な体質に生まれ変わった!』と喜んで頂いているんです^ ^
自分の人生の経験を元に出来上がったメソッドで、どんな方でも結果を出せるのがぼくの最大の得意技!
この結果を出せる独自メソッドを、クライアントさんにマンツーマンで寄り添いながら行うので、会員様から信頼してもらえるようになりました。
その積み重ねで僕は13年間ずっと満員のレッスンを受け持つ、
大人気のパーソナルトレーナーになったんです。
コロナ禍の今だからこそオンラインでダイエットサポート
2020年に起きたコロナショックで、愛知県は緊急事態宣言が出てジムは3週間のお休み。
「自粛して人々の接触が防げても、身体を守る免疫力が弱くなっては第2波、第3波が来た時にもっと感染者が増えてしまうかもしれない。。」
外出してはいけない状況で僕はこう思いました。
自粛生活では、運度不足と椅子に座った姿勢が多くなることで、筋力の落ちるスピードが上がります。
これではいけないと思い、オンラインでのパーソナルトレーニングを強化しました。
これからのwithコロナ時代に自粛生活が続いても、
クライアントさんが外に遊びにでる時はいつでもお気に入りのファッションで楽しめるように、
コロナ太りを解消し理想の体になるためのコースを作りました。
このオンライン パーソナルトレーニングコースでは、ダイエットのやる気がある短期間に集中して体重を落としながら、リバウンドしないようにマインドと筋肉を蓄えて行きます。
プロボクサーは試合が決まってから長くて3ヶ月かけて、試合に向けて体重を落として行きます。
短期間だからこそ減量に集中できるのです。
実際の話、ずっと体重を落とし続けるなんて、よっぽど意思が固くないと難しいです。
それよりも、
しっかりと結果が出せる方法で余計な脂肪を落としていくのが理に叶っています。
そして、
「短期だとリバウンドしてしまうのではないか?」
という不安をなくすために、
・リバウンドしないマインド
・正しい体の使い方
・筋力アップ
の3つを集中的に指導して行きます。
ただ単に筋肉量を増やすトレーニングでは、トレーニングしている時は代謝も上がって太りませんが、筋肉量を増やすトレーニングをやめたらすぐに筋肉は落ちて代謝は下がります。
そしてリバウンドしてしまうんです、、、
そうならないように、ぼく自身の経験と今まで指導してきた経験を踏まえたメニューを全て詰め込んで、全力でサポートさせていただきます。
◯ なでしこ成実さんの体幹トレ&メンタルサポート
◯ オンラインパーソナルトレーニング2ヶ月で体重10kgダウンの60歳介護士Yさん
◯ オンラインパーソナルトレーニング2ヶ月で体重8.5kgダウンの40代専業主婦Hさん
オンラインでパーソナルトレーニングをすることで、たくさんの方のダイエット指導する機会が増えました。
オンラインでは
・移動時間の節約にな
・隙間時間にダイエットができる
・お家でトレーニングする習慣がつく
という大きなメリットがあります。
オンラインだからこそできることがたくさんあると感じており、
オンラインでのパーソナルトレーニング指導も楽しみながらさせてもらっています。
ぼくはボクサー時代の経験で「基本が大事」だと思っているので、
ぼくのパーソナルトレーニングは基本が中心です。
リアルでの指導してきたメソッドとオンラインとを掛け合わせたパーソナルトレーニングで、運動初心者の方を
・2ヶ月で6キロのダイエットしていただくコース
・3ヶ月で8キロのダイエットしていただくコース
・6ヶ月で10キロ以上リバウンドしないダイエットしていただくコース
がございます。
基本のトレーニング指導とオンラインはものすごく相性が良く、しかもお家でサクッとできるので習慣化しやすく、リバウンドも防げます。
リバウンドのないダイエットを、ぼくと一緒にオンラインで始めてみたいなっという方は、ご連絡ください。
そして、上小田井付近にお住まいでしたら、リアルのパーソナルトレーニング指導も行っていますので、ぜひリアルぼくのレッスンを受けに来てくださいね。
僕のジムはコロナ禍で作ったジムなので、コロナ対策を考えて作りました。
20歳から47歳まで体型が変わらない元プロボクサーのぼくが、今までの経験を全て注ぎ込んで楽しくダイエットできるようにサポートさせていただきます。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
カウンセリング受付中
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忙しい毎日を過ごしていても、「痩せて好きな服きて毎日楽しく過ごしたい」とお考えの方、私とカウンセリングでお話ししませんか?
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